東海通信機2008年11月
1974年当時には、この無線機が72CHに改造をされて売られていました NASAなどであっても46CHが精一杯だったときに72chを実装して売られていたこの無線機はあこがれでもあったものです。この無線機に強い憧れをもちつつ、長い間東海通信機はどんな会社かを非常に興味を持っていました。そこで東海無線機聖地ツアーにいったりしていますが、非常に残念な会社閉鎖になってしまっています。
東海無線の設立
東海の歴史
静岡市幸町で真空管式ポータブルラジオのキットメーカーとしてスタート。徐々に完成品製造の比率を高め2~3年後にはキットは中止する。
TC-9000 昭和36年発売
東海無線株式会社静岡県幸町34番という日本語の記載がある
翌年37年に中原805番地で直販を
するという内容の広告がCQ誌11月号にある。
1962年(昭和37年〜)
独立採算,分社化と言う事で次のように分離、別会社となる
CBのアメリカ向け出荷は殆どがOEMで“ミドランド”他、数社あった。欧州向けは進出が早かった事もあり“TOKAI”の自社ブランドでヨーロッパ市場のCB販売ではトップシェアの状態を保ち続ける
TC-910ハンディ無線機 昭和39年発売
静岡市中原816番
親会社の東海無線の業績が悪化、好調だった東海通信機の資金もすべて親会社である東海無線ににつぎ込まれた為、東海無線の倒産により東海通信機も連鎖倒産した。東海商事はこの時点で独立し東海技研として生産も含め、再スタートする。海通信機も会社更生法により再スタートしたが往年の力は戻らなかった
1974年(昭和49年)
アメリカCB無線は飽和を迎えていました、チャンネルはいつでもいっぱい。そこで、増波が行われましたそれが23CHから40chになったのです。こうなったら大変なのが無線機店です。当然23chの無線機は売れなくなり大量に残るようになります。残った23ch無線機が日本国内に大量に売られるようになります。これはFCCルールによる変更が原因なのですが、それまでは500mWしか認可にならなかったCBにアメリカ向けのハイパワーの無線機を投入したところ、日本国内でも需要があることがわかったのです。国内向けに専門に売りさばくバイヤーなどが現れるようになったのがこの時期です。