東海通信機2008年11月 

 

みなさんは東海通信機ご存知でしょうか?表立っていたのはこのTC-5007 とTC-5008であったのですが、実はそのほかのもたくさんの無線機をOEM製作をしていた会社だったのです。CB無線機メーカーといえばはNASAが筆頭するのかもしれません。無線機メーカーと言えばヤエスやアイコム ケンウッドなどがありますが、その裏ではたくさんの無線機メーカーがあり、たくさんの無線機を作っていたものです。隠れたメーカーこそ、日本の産業を支えるのかもしれません。

1974年当時には、この無線機が72CHに改造をされて売られていました NASAなどであっても46CHが精一杯だったときに72chを実装して売られていたこの無線機はあこがれでもあったものです。この無線機に強い憧れをもちつつ、長い間東海通信機はどんな会社かを非常に興味を持っていました。そこで東海無線機聖地ツアーにいったりしていますが、非常に残念な会社閉鎖になってしまっています。

   東海無線の設立

東海通信機さんは昭和26年に静岡市幸町で真空管式ポータブルラジオのキットメーカーとしてスタートしたようです。当時はトランジスタではなく真空管でのキットです。

 

   東海の歴史
1951年(昭和26年〜)

静岡市幸町で真空管式ポータブルラジオのキットメーカーとしてスタート。徐々に完成品製造の比率を高め2~3年後にはキットは中止する。

昭和26年といえば日本では戦後10年、経済成長を促した時期
1956年(昭和31年 真空管ラジオからトランジスタラジオに移行しはじめる。販売も輸出中心となり、工場を静岡市内の中原に建設
昭和31年は、日本では

 

1961年昭和34年〜)

 

トランジスタFMラジオ開発中に輸出先の各規格(局部発信の不要輻射)を満たす事に苦労する。低レベルに抑える事が大変なら、出力を出そうと思えば無線機が出来るかも知れないと、FMラジオ用のトランジスタを使用してFMラジオバンドのトランシーバーを内緒で技術部のイタズラとして作った(当時、静岡では未だFM放送は無かったので妨害はない)。これが社長やアメリカのバイヤーの目にとまりアメリカ向けのCBの正式な開発のスタートとなった。尚、FMラジオが本格生産開始すると幸町にあった本社を静岡県中原に集結した。
日本では1
1961年昭和36年〜) 輸出用のCBを国内規格に合わせ国内販売を開始。主として沿岸漁業関係。
1961年に発足したアメリカのCB無線は爆発的なブームになました。日本では無線機のOEMなどを受け、作れば作るだけ売れるCB無線機はCB無線機特需を起していました。
日本では

TC-9000 昭和36年発売

東海無線株式会社静岡県幸町34番という日本語の記載がある

翌年37年に中原805番地で直販を

するという内容の広告がCQ誌11月号にある。

 

1962年昭和37年〜)

 

独立採算,分社化と言う事で次のように分離、別会社となる

東海無線(親会社) ラジオ、ステレオ 等、家庭用音響機器を担当
東海通信機(100%東海無線) 無線機、カーラジオ、他(道を挟んだ隣接地)
東海工機(100%東海無線) 機械加工。金型
東海商事(100%東海無線) 国内販売

CBのアメリカ向け出荷は殆どがOEMで“ミドランド”他、数社あった。欧州向けは進出が早かった事もあり“TOKAI”の自社ブランドでヨーロッパ市場のCB販売ではトップシェアの状態を保ち続ける

日本では東京オリンピックの時期です

TC-910ハンディ無線機 昭和39年発売

東海通信機株式会社

静岡市中原816番

 

 

1970年昭和45年〜)

親会社の東海無線の業績が悪化、好調だった東海通信機の資金もすべて親会社である東海無線ににつぎ込まれた為、東海無線の倒産により東海通信機も連鎖倒産した。東海商事はこの時点で独立し東海技研として生産も含め、再スタートする。海通信機も会社更生法により再スタートしたが往年の力は戻らなかった

 

TMA502  

1973年昭和48年 東海技研株式会社
モービル機TC5007   1973昭和48年前後 tokaicomunucation

1974年(昭和49年)

アメリカCB無線は飽和を迎えていました、チャンネルはいつでもいっぱい。そこで、増波が行われましたそれが23CHから40chになったのです。こうなったら大変なのが無線機店です。当然23chの無線機は売れなくなり大量に残るようになります。残った23ch無線機が日本国内に大量に売られるようになります。これはFCCルールによる変更が原因なのですが、それまでは500mWしか認可にならなかったCBにアメリカ向けのハイパワーの無線機を投入したところ、日本国内でも需要があることがわかったのです。国内向けに専門に売りさばくバイヤーなどが現れるようになったのがこの時期です。

 

モービル機TC5008(M5008)

 

 

1974年昭和49年前後 tokaicomunucation
固定機 TC5056   1984年昭和54年前後 tokaicomunucationapparatus
昭和54年 アメリカ市場の混乱の影響により再倒産。ここで“TOKAI”は消滅した

 

 

 

 

inserted by FC2 system