アクションバンド はなぜ廃刊しなくてはならなかったのか?

 

2008年5月

徒然なるラクガキ

この検証はあくまでも技術資料です

ラジオライフ誌のライバル雑誌として創刊した雑誌アクションバンドことAB 

一時期は CQやラジオライフと肩をならべるまで隆盛を極めた雑誌だ。

ところが創刊から18年後の2005年10月を持って休刊となってしまった.

現実として商業誌としては廃刊なわけだが、廃刊しなくてはよかった選択があったのではないだろうか?

今回は、あのときこうすればよかった あの時こうしておけばを現在から振り返り、あれこれ口を出してみようという余計はお世話な話しをしてみたいと思う。

 

そのためにはまず創刊から廃刊いや失礼 

休刊までのすべてに目を通してからではないとならないだろう。

そこでヤフオクで全巻をそろえてみた

散財 12000円ナリ

 

 



1987年

アクションバンドの創刊は今から20余年前の10月 1987年 世の中はまだ昭和だった時代だ。 ラジオライフでは扱わなかった 送信改造などの門外不出ネタを一挙に大量に扱ってラジオライフを肩を並べる雑誌となった。

アクションバンドを語るには、いくつかの時期にわけるとわかりやすいと思う、
すべての本を整列させて、背表紙の部分を見ると、オレンジ色 アカ色 青色 白色
というように4色にわけることができる。


オレンジ期(前期) 創刊ー1994年まで
オレンジ期(後期)  1995年ー1997年まで(10年)
アカ期 1988年ー2000年まで
  
青期     
2000年-2002年まで
 
無地(白)期 
2003-2005年まで



特にアクションバンドが商売として順調に伸びるのはこのオレンジ期(前期)である創刊から1994年までの間である。

雑誌の創刊にはいくつかのポイントがある いかに優秀な編集者が優秀な筆者を使っても軌道に乗せなければ
商売としては成立たない。逆にいえば軌道にさえ乗せてしまえば、あとはどうにかなるものなのだ。

この時代は企画にも筆者に恵まれた時期とも言えるだろう 
送信改造はもちろん 当時社会問題ともなった テレホンカードの偽造などが社会問題化していた時期であった。
それらを取り扱うことにより 注目を集め創刊から1年も経過しない内にアクションバンドは、世に認められた雑誌に急成長した。
送信改造はいわゆるタブーへの挑戦、いままでは扱えなかった問題を一挙に出版してしまった。

またテレホンカードの偽造問題は、
 テレホンカードは単純な磁気構造であり カンタンにコピーすることが出来てしまった。
それを雑誌誌上で堂々と公開してしまったのだ。
対するNTTは大弱りだ。
というのも磁気情報を管理する法律が当時はなかった。

 つまり「テレホンカードを偽造しました罪」というものが、ないために対策を打てなかったのだ弱小な出版社が 天下のNTTをキリキリ舞させたその内容は、当時の読者をを魅了した。


この時代には、ほかにも特筆するべき特集がいくつかある。
それが電子工作関連の記事である 内容は決してお勧めできるものではないのだが

 あきらかに読者よりレベルの高い記事は 読者を納得させるとともに「この本はスゴイ」「ヤバイことがたくさんかかれている」というように知的好奇心を刺激したのだ。

これらの記事の構成の相乗効果により多くの読者から支持を得られた。


1990年

 

当時に技術関係の記事を書いていたのが 後に編集長になるWである。

w某などというペンネームを書いていた。

Wの技術記事は、非常にわかりやすくまとめられるとともに、的確なものであったことから読者受けもよかった

NTTのテレホンカードの解析記事はすべてWの記事によるものである。

さらには、それの延長線上にあたのがが盗聴や盗撮といった いわば大手でも食いつきそうなネタをわかりやすく解説した。 

わかりやすい解析記事は、まったくの素人にも盗撮が可能になり、ニワカ盗撮マニアなどを大量に輩出した
 

雑誌を作る場合は編集長の好みにより雑誌が出来上がる場合が多い。

 


この時代の編集長は3代目編集長であるSである。

Sは自分が初代編集長であるという認識を持っているようだが、

初代編集長は、1代目編集長は元ラジオオライフの編集部に居た、はK

2代目は マガジンランド 社長伊藤英俊である。

Sの編集長就任は90年末だ。


1991年

姉妹紙であるレッツハミング誌が創刊される。


 無線業界の下降線はすでに見えており、

読者層が見込めるのではないのは、当時の識者の共通意見ではあったが、あえて正統派の雑誌を出すことになった

それは本誌(アクションバンド)はアングライメージがつきまとい、大手の無線機メーカーが直接広告を入れてくれない状況であった。

そのため 当時の表4広告(背表紙)の広告は無線機の広告ではあるが、すべて販売店名で入っているわけだ。

営業的に考えて、まじめな無線の雑誌を作ろうとする案が浮上した
それがレッツハミングだ。

売ろうと思ったのは3代目編集長Sであり、本誌との兼任で創刊の運びとなる。

 


 


1992年

電子工作の礎となったのがこの92年だ。

創刊当時から90年の特集を見てほしい、
フォーンパッチや高出力テレビ送信機 送受信改造などを特集していた。技術的な内容はすべて編集者であるWの記事あると言ってもいいだろ う。 技術的にも本としても円熟した時期が到来した。

92年の3月にはWは
4代目編集長へと昇進している

 






1993年

いくつかの大きな転機が訪れる。それは 自遊舎の設立だ

それまでMES (マガジンランドエディットスタッフ)と銘打ちアクションバンドの編集をしていたのだが、
ここで編集作業を請け負う編集プロダクションとして独立することになる。

当時の設立のお知らせ(93年11月199p)を見ると

3代目編集長S 4代目編集長W そして、Kの三人が取締役として列記されている

 

 

組織としてに力がつけられるかどうか?がこのあたりにあったかもしれないが実際は分社化にも等しい方法になったわけだ。


1994年 

MES大阪分室の設置
94年の1月号それまでの4代目編集長Wが突然の失踪。
3代目編集長Sのが編集長に復帰  8月に
5代目編集長Kの選任
など事件の勃発 自遊舎のKが、大阪の日本橋に事務所を借りて大阪に分室を作るなど。
大事件が頻発。 当然記事の内容などにもこの動きが現れており、翌月の特集内容が突然変更になるなど、その動きのあわただしさが
確認できる。
大阪での活躍は当初通天閣の上に上ったりしたようだが、大阪分室の活動は、その号限りであった。


1995年

オレンジ期の後期に差し掛かると、迷走が始まる。
それはなにより、アダルト広告の増加だ。

無線界の低迷は販売店を直撃していた 携帯電話の爆発的普及と、無線の衰退が一致していることから
無線機販売店は 次々閉店、 かろうじて生き残っているお店は、専門店としてはではなく、携帯電話などを扱うようになり、路線変更をよぎなくされる。

本誌の中では、アダルトビデオなどの広告が大量投入され始めていた。
 無線の雑誌になぜ、アダルトビデオの広告を入れてしまったのか? 

どうもこれはABの編集方針ではなく社内的な命令でのアダルト広告の採用だったようだ。そもそもアダルトは大衆娯楽の原点で、あり、そこそこの内容を入れるとそれなりの金額が発生するというもの。それなりの金額を発生させるのが、社内的に重要だったようだ。

 

 

 

 



アクションバンドの記事内容は電子技術の暴露記事について興味を持ち実戦をするような読者は高校生くらいなものだろう、
高校生が読む雑誌にアダルト広告が入っているのは決して好ましくはなく、敵対するラジオライフ誌では、早々にアダルト広告を入れるのを止め
ている。

まず第1の分岐点がこの時点にあったはずだ。目先の利益をおい求めるばかりにアダルト広告を大量投入してしまった。
それまでの読者は 本誌に対して技術的興味や、特集の向先に興味があったはずだが、
その最終ページにはどうでもいいアダルト広告。これでは、それまでの読者はついてこない。

アダルトは諸刃の剣であるということを小一時間問い詰めたい。



1996年

5代目編集長Kが9月に突然の辞任 編集長の交代で再々第3代目編集者であるSが指揮をとることになるのだが、


すでに本誌の中はアダルト広告でいっぱい、どうするのか? 手腕が問われることになる本来アダルトなどは扱うべきではないにもかかわらずなんと! 特集ですら、ネットやアダルトが扱われるその姿は痛々しいとしかいいようがない。

ある業界人の発言

 

1996年時鬼編の再任時には損益分岐点ギリギリだったらしい。
そのために広告が取れる特集…という意味でアダルトを取り上げた。
経営者から編集部への命令のようなもの。
無線ネタでの読者回復が困難となったと判断したようです。

 

まさにそのとおりであったようだ。

 

 

 



1997年

自遊舎とマガジンランド者の決別

1997年に5月突然1通の手紙が関係者に送られてくる。それは自遊舎かがアクションバンドの編集を辞する件と書かれているいわば決別書であった 何があったのかは当事者しかわからない。自遊舎とML社はここで決別する。

同時にレッツハミング休刊を迎える 自遊舎は担う仕事は大きく、アクションバンドとレッツハミングを作っていたわけだ。その会社が一切の手を引くわけだからAB誌は独自の道を進まなくてはならなくなったわけだ。編集長の選任、スタッフの更新、まさに0(ゼロ)からのスタートがこのときにあったわけだ。

 



 


1998年 

時代は赤時代へ

そこで、新たな編集長として6代目編集長としてOが抜擢される。それまでの路線を踏超しながら 編集をすることになるのだが、
技術的な記事を書いていたのは、自遊舎であったために、突然技術者すべてを失ってしまっていた。
現実には97年の6月以降には、それまでの電子工作関連の記事は一切なく、PCであったり、もしくは、盗聴であったりと、それまでのABとは一線を画した
 まさに”らしくない”特集だ。

この時期に、1つあらたにに投入されたのネタがある。それは電子工作のネタなのだが、なんと真空管を扱うというネタであった。そもそもは軍用などの真空管の機械を特集すると、ミリタリーマニアから反応があるためと真空管を扱える人のが現れたというものが大きい。真空管のシリーズは定着する。これもまさに起死回生策として採用されたと言っても過言ではないのだが、いまさら単球ラジオでラジオを聞こうという人がどの程度いるのか?は謎としかいいようがない。

 





6代目編集長Oはこの98年に一人の若者との出会いがある。それが警察マニアYだ。
それまでもアクションバンドでは度々警察の特集が組まれており、ディジタル無線機などの紹介が行なわれていたのだが、そこに、警察の同人誌を作っていたYが 投稿をしていたのだ。この年代の警察関連を見るとすべてYの名前が入っていることがわかる。


 6代目編集長0はその写真をそっくり掲載した。同人誌としてのコアなネタは、多少の手直しで
特集化することができる上、いままで本誌でも紹介していないような細かいネタ 写真などを豊富に利用して
斬新な、警察特集を作ることができるようになった、
しかし、ここで大きな思い違いが発生していることに気がついてない。



 これまでのアクションバンドの警察に対するスタンスは、すべて、警察に対しての苦情 苦言 内容バラしなどの反警察向けのものであったの
だが、Yの投稿記事は反ではなく警察寄りの記事であった この編集の方向性が読者離れを引き起こすことになる。

送信改造にしろ、テレホンカードの偽造記事であっても、大きな組織に対して、小さな出版社が挑むというようなスタンスが取られていた。その対象が たまたま無線機やNTT、警察であっただけで、その挑戦する姿が読者に認められていたのだ。

ところが、この98年以降の記事は違う
「警察の捜査はすごい」、「こんなすごい訓練をしている」 「犯人は逃げられない」 というような内容になっているこれでは旧読者はついてはこない。



98年当時、この記事構成を変えれば読者離れを止められたかもしれないこれが第2の分岐点だ。読者はわがままなもので、

自分の思考に会うかどうかを一瞬で判断する。権力寄りの本は受け入れられない。


1999年


電波ワールドの創刊  M社と決別したJ社は、電波ワールドを創刊する←これについては別項自遊舎を予定している


3月
ML社はそれまでの神田須田町から神田錦町への引越しをおこなっている。創刊から99年までの12年間を神田須田町ですごしたのだが、なにのためかの移動か・・・?

7月
それまでの編集長であった6代目編集長Oが突然の降板し、
7代目Yが編集長になる。Yは投稿から入社までの約1年のスピード出世Yは警察マニアであり、それまでも警察関係の同人誌などを手がけていたので、編集作業をすることができていたのだが、編集長というのはその人個人が出るものである、。編集長に就任直後に警察消防ネタでの特集複数回組まれているただしすべて警察よりの文章構成であり、やはり 警察はスゴイという警察コンプレックスを丸出し文章で、読者離れが加速したと思われる。






2000年

特集スパイ???????


スパイの特集が組まれる 読んでみると、
「日本ではたくさんのスパイ活動が行なわれている」 
もしくは、「自分が公安に狙われている」 というようなまるで、どこかの劇映画の世界のような話しだ。
 
 内容はスパイは凄い 公安はすごい というような権力寄り  の記事構成だが、これも編集長の趣味であることには違いない。

また、コンピュータに関する内容も特集になっており、2000年当時の時代を追おうとした後が感じられる
自作コンピュータを作る特集などは、たしかに役には立ちそうなのだが明らかに読者層を読み違えている。
本誌に求められている読者層は、コンピューターに関する知識ではない。他誌では手に入らない情報である

 




第3の分岐点はここだ。
2000年時代コンピュータ業界はwinn2000の発売などに合わせて沸いていたそれにあわせてたくさんの雑誌が売られてた。そこに商売の目を向けてしまった。旧来の読者は無線などの懐古たる趣味を伸ばしたいと考えているわけで、ここにきてあえてコンピューターなどの手を出したりすることなく過ごせばここでの読者を失うことはなかったはずだ。

 

 

ここで本誌の流れとは関係ないが爆焼DVDという増刊の様子に触れなくてはならない
この本はDVDがやっと焼けるようになり始めた時期に、DVDをリッピングしてコピーするという内容の本だ。
ABの不振をカバーするという意味では、部数も稼げてかなり良い本だったのだが、
当然コンピュータを専門とする雑誌などのほうが情報が速かった。なにより、当時のネットランナ(ソフトバンクパブリシング)の勢いは強く、コンビニまでに配本が行なわれていた。
結果、読者は手に入れ易い雑誌のほうに流れてしまっていたと、言えるかもしれない。
目の付け所はともかく、出版社パワーに押されてしまったのは残念だ。









2001年時代は青時代へ

この時代までは実は本誌の売り上げとは別に収入があったのだ。それはダイヤルQ2などによるアダルト広告だ。
 本誌最後にあるQ2の広告は、広告ページに追加するだけで百万以上の売上が発生し、本誌の屋台骨を支えていたのはいうまでもない。
ところが2000年に入るとNTTのQ2の規制により、Q2を提供する業者が大量撤退し、広告スペースが開き初めてしまう。
 広告収入というのは雑誌のもう1つの収入源である。
とくにアダルトの広告は、専門の広告代理店が仲介するために確実に集金することができるので
雑誌としては歓迎すべきものであるのだ。





2001年

 

もう言うことは何もない・・・・・

” アブナイ薬の使い方”という特集。

誰も止めなかったのだろうか? (20012G)

 

 

 

 

 

Yの突然退社10月


7代目編集長Yが編集長になり、2年半 突然の退社をする この時の2番手はYだ。この
8代目編集長Yがこれからアクションバンドを左右することになるのだが Yは無線の知識は0(ゼロ)だ。当然電子工作系の知識もない

 


ース2ch 

223 名前: もっと関係者 投稿日: 01/10/30 09:42

アクションバンド山崎鍛、マガジンランド突如退社。 
これでABは、警察ネタを失った。 
技術力も、警察もないAB。 
いいんですか? このままで

 

 



2002年 

大幅な路線変更

表紙にはタレントの女性が表紙に出たり、本誌特集にDVDのコピーなどの特集が組まれてしまう。
この時代には無線も警察も扱われていない

うまくインターネットへと移動したように見えているが、旧来からのABを支えてくれた読者は去ってしまっているようだ
代わりにネット関連からの読者を引き入れたように見えているが、2002年には他競合誌の快進撃などがあり、読者確保にはいたっていない。



2003年
無線などを扱うことのできる編集者がまったくいなくなってしまった。
さらには、インターネットの普及により、扱うネタがさらにネットよりになる。
 もともとアングラネタもしくは無線を扱うネタでの読者層があったにも関わらず 読者のほうが賢くなってきてしまい、特集の内容をみていると、
苦労をしている様子が、手にとるようにわかる。
 この時点で、旧来の読者には離れるまた、新規の読者にも見回れず 読者はなれは加速。
そもそも、ネットに関しては他の雑誌を読めばよいわけであり、わざわざアクションバンドを読む必要がないわけだ。


特集内容もさることながら、他雑誌では扱えないような特集をしたり、実験をしたり

そういうのが、まったくまもられていない時期。思えばここあたりまでならば修復が可能だったのかもしれない。



2004年
地上デジタルの放送開始から デジタルテレビの特集やBCL またディジタルテレビの録画を
メインとする特集が組まれることになる・技術的な解説は皆無に等しくなり、
メーカーごとの説明などに終始することになる。
アクションバンドのスタンスとしては 確立されていなくてはならないのは、”他誌にはできない”というのがウリのはずなのだが その反面 録画
の情報などどこの雑誌でもできるのが特集になってしまっているのは
なぜだろうか?

 また2004年で 読者はなれを食い止める意味合いで電子工作の本を付録としてつけていたのだが、既刊のコピーであったり従来記事とほぼ同様なものが多かった。

 

海老が背表紙を1年かけて飾るってどんなんよ?





最後の分岐点がここだ
いかに機械のフタを開けて内部を見せたり もしくはすでに販売されているキットの図面を見せるだけでは、読者にしてみれば、新しい情報とはならない。このときにせめて自作した回路や構図、もしくは、特別なものを提供できればよかったのかもしれない。 読者にしてみれば自分が読まない本 もしくは卒業してしまった雑誌を買い直すはずもない。つまり、2004年のこのときに最終決断し、人選を考えるなどの措置をとっておけばよかったのかもしれない






 



2005年断末魔

アクションバンドは2005年1月号 
大幅なを改革を迎える
それまで680円の定価を続けてきたわけだが、2005年の1月号から定価を一気に480円に引き下げてしまう。
雑誌が売れないのは、金額の差ではなく、内容によるものではないことに気がつづいてないのだろうか? この薄さを見てほしい
愚な対策であったことには間違いがない
 当然売上は伸びず7月号では、ページを大幅に縮小(240p→140p)となり非常に薄いものなる。
これが最後の断末魔であるといえよう。




しかし、薄くなってしまった号をみてみると 年間購読の案内などが掲載されており、内部的にはまだ発刊する予定であるよう
に見える。内部的にも不安定になってしまったのだろうか?
そして9月号の発売(7月19日)の前には、本誌が10月号で休刊になるというお知らせ文章が2ちゃんねるに貼り付けられていた。

休刊した2005年10月号社内的などについては休刊とかかれているが本誌にははっきりと最終号とかかれている

最終号がメイドとは・・・・

 

 


折りしも 2005年8月20日 8月21日は 東京ビックサイトでハムフェアが開催され
お祭りムードの中

18年間ありがとうございましたの看板をかかげ、葬式ムードを漂わせていたのは
異質な状況であった



アクションバンドは10月号 217号を持って休刊になった
普通なら最後は最後なりの締め的な特集になったり、もしくはそれなりの内容になるはずなのだが、最終号が なんと”メイドカフェに萌える” 自分が冥土に行ってやんの・・・



こう振り返ってみると、何回か、読者はなれを防ぐチャンスがあったにも関わらず その場その場での目先の利益を追求しているのが、わかるだろう。 さらには、ABを支えてくれた旧来の読者層を読み違えてしまっている。これでは読んでくれる人をことごとく裏切りつづけているとしか言えない。 胸を張って自分は「アクションバンドの読者です」と言ってくれる人を裏切ると最後は一人になってしまうという見本かもしれない・・・

 


 


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