CB無線の思い出3

 

前に22chと23chのすき間にあるEというポジションをみなさんの地方ではこのチャンネルを何と呼んでいましたか?と聞いたところ

白ch(シロチャン) Ech(イーチャン) Ech(エコーチャン) などということを教えてもらいました。

オーフナなどはこのポジションのPAを割当ていましたのでPAch(パーチャン)と呼ぶ地方もあったようです

EchのEはenpty のEなので日本風に言えば空チャンというのが正しい表現かもしれません

23ch無線機ではこのチャンネルでは送信も受信もしないためこのチャンネルで話ができるのは

一部の機械を使うしかありませんでした。ところが40ch無線機が登場してEchの扱いが大きく変わります


35年前間チャンネルの話

認可されたCB無線は最初は3chや6chという水晶制御式のものしかなく、みなさんがよくご存じのOF-665のような無線機でした。27MHzは漁業無線に割り当てられており、漁業無線と供用されていたともいえるでしょう  

23ch無線機は輸出専用品であり国内には流通してなかったのです。

 

1974年アメリカではCB無線の大ブームが起こっていました。

23chのチャンネルはいつも満局。普通に交信ができない状態が続いていました。

そこでなんとかならないかと考え出されたのがチャンネルの増設です。

  23ch無線機にHI-LOWの切り替えをつけて

46ch無線機にしてしまい運用が始まりました。

もちろんこれは不法行為であり立派な犯罪です

しかし運用局が多くなり23chで収容しきれなくなったのは事実であり、

 こうした事態にアメリカでは23ch無線機を増波することが提案され40ch無線機が規格化されます

 日本のように何年もダラダラとするのではなくあっというまに審議が通り40chが認可されました。

 

この当時日本では23ch無線機をたくさんつくっており、突然の仕様変更で旧規格である23ch無線機は売れなくなります

 その結果、輸出に値しない無線機が日本の市場に流れてきてしまったのです。

 最初はこんなもの売れるのか?程度の認識だったhずなのですが、いざ販売を始めてみると

日本でも 安価で遠距離まで飛ぶCB無線は歓迎され、たくさんの局がオンエアすることになります。

 

 

 

 

 



FCCの対応と国内の対応

FCCと不法改造

このように23ch無線機は40ch化したのですが、

 新規格である40ch無線機は23chの無線機とチャンネル互換をとりながら23chの上に24 25 26・・・とチャンネルを増やしました。 全部の局がFCCルールを守っていれば混乱はないのですが、問題が発生します。それは23chの無線機にHIchをつけた不法改造46ch無線機が存在です。 

46ch無線機は名前こそ46chですが23chのチャンネルの上にもう23chをそっくり増設したものです

たとえば下2ケタが45や95の周波数が2階チャンネルで抜けてしまっているのです

 アメリカでの混乱

 40ch無線機の登場によるチャンネルプランの混乱は46ch無線機の利用者です、

 それまでは10chの2階と呼ばれていたものが

突然37chと呼ばれることになるのです。

1chから23chまでの互換性はとられたものの、

23chの次の24chは23chより周波数が低い

27.235Mhz(23ch無線機で言うEch)になり24chは23ch無線機ではオンエアできない27.245Mhzとなりそこから 27.405MHzまで10KHzステップでキレイに並びました・その結果23ch無線機では

オンエアできないチャンネルが生まれてしまい、

どこのクラブでも大変な騒ぎとなりました。 

23ch無線機とは完全互換ですが46ch無線機とは交信できないチャンネルが存在するという矛盾は

クラブchにも現れます。たとえば24ch 25ch 29ch 34chなどは通常の23ch無線機ではオンエアできません

 

 

不法改造

それから1年もせずに80ch無線機世の中に出回るようになります

 これは23ch無線機を46ch化させたのと同じ手法で40ch無線機の上にもう40チャンネルを増設しました。 

 ところがこの40ch無線機を80ch化した時のは23ch無線機を46ch化した時とは決定的な差があります

それは40chから上のチャンネルを2階チャンネルとしてではなく、、41chから80chまでのチャンネル表示にしたのですいままでならば1chのHichと表示されるところが、41chと表示されるようになってしまったのです。 

この80ch化により面白いことがわかります

それは何かというと41ch−80chをクラブチャンネルとするクラブは1978年以降にできたクラブであるといえるわけです

 同様に表記に24ch−40chを利用するクラブは1977年以降につくられているクラブということになります。

 

では平chのクラブはどうでしょうか?

まず日本にCB無線が認知されるのは1961年です

よって一番古いクラブでもこれ以前にはさかのぼれません。

 また最初から23ch無線機があったわけではなく

23ch無線機の登場は1970年でそれ以前はオーフナ665のような6chや12ch無線機です

つまり1ch−23chというチャンネルを呼称するクラブは1970年以前には存在できません

 チャンネル表記がないのですから。

 また少なくても東京では1974年までは クラブというのはJCFが1つあるだけで。1chと2chで呼び出してから3ch以上のサブchに移動するという運用をしていました。

 

 

 

 

 


4ch

4ch

みなさんよくご存じの4ch。

いまでは聞こえるのは4chくらいになってしまいましたが1978年に関東では”関東Jクラブ”というクラブが運用をしていました。

 これは1chと2chで呼び出してからサブchに移動するという頃の名残で

利用局は 1chと2chで呼び出して 3ch 4chと上に上に使っていったのです

 関東Jクラブさんは3chをや4chで交信をすることが多かったようです

 関東Jクラブさんさんはいわゆる長距離の定期輸送トラックで主に東名高速を利用することが多く、仲間が増えていきました

 このトラックさんたちがいまだにオンエアしているということになります

 当時は今のように組織ではなく 個人請負のようなトラックが多くおり、横のつながりをえる方法として定着していったのかもしれません 

 

893さん

よく言われる一部団体さんですが

1980年代まではたしかにその存在があります

しかしそれは決して暴力的なものではなく非常に友好的な存在です

 1ch−23chまでオンエアする人全員が知り合いですから クラブどうしがいがみあるなどということはありません 当然そこには抗争が起こるはずもありますん

 ところがここに困ったちゃんが現れます

みなさんの間でもいませんか?すぐに

「なんとか組の誰々知っているか」とか「何々組の何とかさんを知っているか?」などと言う人。

こういう人が現れて来るのです

本人は「おれってすげー」と思われたい一心でそういう言動がでるのかも知れません。

これを無線で公言してしまうのです

知っている人が聞いたらアホかと思いますが

知らない人がきいたらCBって何て怖いところなんだろう と思います

こういう素人払いを無線上で平気で行うと

それを今度は真似する人が出ます

「何とかのなんとか知っているか?」

これが総じて相手へのけん制、平たく言うと

ビビらせゴッコが始まってしまいます

 

さらに進み

このビビらせゴッコは進みます

まずありもしない団体名をつけ

その団体がいかに大きいのかを誇示します

長々しい名前 そして全国云々。

CBの場合は許認可制でもないため言ったモノ勝ちです なるべく大きな名前つけたほうが強く感じます

 

このビビらせゴッコは誰でもできますのでみなさんもぜひ真似してくださいね


 


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